2025年を迎えまして [2025.1.6]

令和6年の能登半島地震、また9月21日・22日の集中豪雨により亡くなられた方々に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
また、未だ安否不明の方々が早く無事に戻られますよう、そしてこれ以上災害により尊い命が失われることのないよう、心よりお祈り申し上げます。

2024年元日の能登半島地震から、早くも1年が経ちました。私たちにとっては、1年前の16時10分を境に世界が一変したように思います。復興の歩みは依然として遅く、さらに9月の豪雨災害が追い打ちをかけるように発生したことで、日常を取り戻すにはまだ遠い道のりが続いています。時の流れが信じられないほど、慌ただしく、また厳しい日々を過ごしてまいりました。

そのような状況の中、地震の際にも水害の際にも、たいへん多くの皆様から温かいご心配やお見舞いのお言葉、そして身に余るご支援を頂戴いたしました。皆様のお心遣いが、私たちにとって何よりの大きな力となっております。この場をお借りして、改めて心より御礼申し上げます。

昨年、私たちが最も多く心に抱き、また互いに口にした言葉は「感謝」でした。
災害が契機とはいえ、多くの皆様からのご支援とお気遣いを賜り、暖かなお心に触れる機会を得たことは、私たちにとって忘れがたい貴重な経験となりました。そして、これは私たちが長年何よりも大切にしてきた「ご報恩」の念を一層深める契機ともなりました。

昨年の災害では、大切な方々を亡くされた方も多くおられます。そうした方々の悲しみや辛さに常に心を寄せながら、今回いただいたご縁を胸に刻み、1日も早く深いご恩に報いることができるように、これからも一層努力を重ねてまいります。

本社ショールームの再開は依然として目処が立っておりませんが、販売員は従来通り全国のお客様のもとへお伺いし、オンラインショップでも販売を再開いたしております。引き続きのご愛顧を賜れましたら幸いです。
また、工房では地震により2名の職人が離れることとなりましたが、新たに2名の若い弟子を迎え入れることができました。現在は手狭な臨時作業場での生産体制が続いておりますが、新たな力を加え、将来を見据えながら復興と再建に努めてまいります。

能登地域全体としても復興が大きく遅れ、いまだ道半ばではありますが、社員一同力を合わせ、明るい未来を創造していけるよう尽力してまいります。どうか本年も何卒変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

2025年1月6日
株式会社 輪島屋善仁

漆芸の歴史と輪島屋善仁の理念

漆芸は日本古来の工芸文化です。その歴史は9,000年前の縄文早期に遡ります。漆の底知れぬ深いツヤに果てることの無い宇宙感を抱いた縄文人が、心の道具としてスタートさせたのが始まりです。

以後、漆器は魂のこもる器として神仏を荘厳し、日本人の精神形成に深く関わってきました。中世には漆器が大衆化し、日本人の食器は大半が漆器となり、土器食器が消滅する地域もありました。16世紀末にヨーロッパに紹介された漆芸は、現地の美術、工芸にも大きな影響を与えました。

今日、明治初めと比べても日本産漆の生産量は激減しています。一般に生活環境の変化が衰退原因の第一とされていますが、漆器製作の現場に漆の本質を追究して現代に投影する精進が足らないのでは、と小社は考えています。現代のものづくりが、過去と比べて見劣りするようでは未来はありません。漆芸は日本だけではなく人類の財産ととらえ、時代を超えて日本漆芸史上最良のものづくりを目指すのが輪島屋善仁のテーマです。


輪島屋善仁は江戸・文化年間(1813年)創業。以来200余年、職人は「人格崇高たるべし」との家訓のもと、技術と感性の向上を求める風土を育んできました。1984年には日本初の漆芸専門デザイン会社を設立し、新たな漆の美の創造をめざしました。また最上の日本産漆を求め、1997年より岩手県浄法寺で日本最大の漆の森づくりを行っています。

最良の器は、精緻な技を持つ名人・名工の分業のリレーにより誕生します。名品はそれらを取り締まる漆芸プロデューサーの審美眼、理念、文化力によって決まります。輪島屋善仁は当主自らが漆芸プロデューサーとして、素材、技術、意匠を監督することによって一貫した理念を製品に反映するよう努めています。

 

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